【ニュース・フランス】Marie Curie生誕150年式典

 
Marie Curieは化学、物理学という異なる分野で2つのノーベル賞を受賞しており、1867年11月7日にポーランドのワルシャワで生まれた。彼女の生誕150年を機に、Frédérique Vidal大臣は女性科学者、そしてすべての偏見から解放された女性に敬意を表してCurie研究所を訪れた。ここで科学に捧げたひとりの女性が歩んだ道を振り返ってみる。
 
2つのノーベル賞に輝いた女性科学者、Marie Curie
Marie Curieの生誕150年を機にCurie研究所で行われたスピーチで、Frédérique Vidal高等教育・研究・イノベーション大臣は「あらゆる偏見から解放され、すべての若き女性科学者を誰よりも適切に導いたこの女性」に敬意を表した。
 
Marie Curieはノーベル賞を受賞した最初の女性であり、1903年に放射能に関する研究でノーベル物理学賞を、また、1911年には、ラジウムに関する研究でノーベル化学賞を受賞している。彼女はフランスで最初の大学研究所の女性所長であり、ソルボンヌの最初の女性教授でもあった。「これは類まれな人格であり、また科学のキャリアをめざすすべての人のモデルである」と大臣は述べた。
 

Marie Curieの年表

  • 1867年

    Maria Skłodowska誕生

    後のMarie Curie、1867年11月7日、ワルシャワに生まれる。両親は教員で、5番目の子供であった。フランスをめざし、1891年、祖国ポーランドを離れる。

  • 1893年

    物理学士首席

    ソルボンヌに入学し、1893年物理学士として首席、また翌年、数学士として次席。

  • 1896年

    物理学教授資格で首席

    パリ市物理工業化学大学校の教員、 Pierre Curieと出会い、1895年7月26日に二人は結婚する。研究への情熱を分かち合う夫の支援を得て、Marieは勉学に励み、物理学教授資格で首席を修める。

  • 1903年

    ノーベル賞受賞の最初の女性

    Henri Becquerelが発見したばかりのウラニウムの自然放射に関する博士号の研究に従事。この現象を放射能と名付ける。1903年、自然放射能の発見に対し、彼女は、夫、そしてHenri Becquerelと共にノーベル物理学賞を受賞。

  • 1906年

    ソルボンヌの最初の女性教授

    1906年、馬車に轢かれて死亡したPierre Curieの跡をうけて、Marie Curieはソルボンヌ教授のポストに就く。1909年、一般物理学の主任教授に任じられ、後に、一般物理学、および放射能物理学の主任教授となる。

  • 1911年

    ノーベル賞を2度受賞した最初の女性

    並行してMarieはラジウムの研究を行い、それに対して、1911年のノーベル化学賞が与えられる。これは男女を問わず、初めて異なる科学分野で2つのノーベル賞の栄誉に輝いた。

  • 1920年

    がん撲滅センターのパイオニア

    第一次世界大戦中、Marie Curieは彼女の発見を人道行為に適用し、移動式放射線サービスを開始した。戦争が終わると、ラジウム研究所で働き、指導医をし、研究所の活動を資金面で支え、また、医療活動を発展させるため、Curie Donationを設立した。彼女の例は、とくに科学分野における女性であることに由来する数々の不遇との戦いにおいて貴重な援助であった。

  • 1921年

    国際的な名声

    1921年、ニューヨークに行き、Hoover大統領から1gのラジウムを手渡された。その名声は国際的なものとなる。Solvay物理学委員会のメンバーであり、1922年から国際リーグの知的協力のための国際委員会にも参加している。

  • 1995年

    功績によりパンテオンに入った最初の女性

    白血病で1934年7月4日に亡くなったMarie Curieはその功績によりパンテオンに迎え入れられる最初の女性として、1995年4月20日に移葬された。

 
2017年11月17日
 
Célébration du 150e anniversaire de la naissance de Marie Curie
 
150e anniversaire de la naissance de Marie Curie : discours de Frédérique Vidal
 

地域 西欧
フランス
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