【ニュース・中国】高等教育70年:国家建設に奉仕しながら構造転換と高度化

 

要旨:本稿は三つの政策的方向性を軸に、対応する体制・仕組みの改革とも結びつけ、当時の取り組みの重点に基づき、高等教育が国の社会主義現代化建設の要求に全面的に順応して発展する輝かしい歴史を回顧する。
 
新中国成立以降、国は高等教育機関の発展を推し進めるにあたり、「論理を一貫させ、時代の変化にも合わせる」という三つの全体的な政策的方向性をとった。

 
その一つ目は、高等教育機関の重点的建設で、重点大学、「211プロジェクト(中国政府が1990年代に実施した「21世紀に向けて全国範囲で100校の大学を重点的に建設する」プロジェクト)」「985プロジェクト(1998年5月に定めた「世界一流の大学とハイレベル の大学を建設するプロジェクト)」から「双一流(世界一流大学・一流学科)」建設にいたるまで、高等教育の階層化を徐々に進めていった。
 
二つ目は、高等教育機関のカテゴリー調整で、新中国成立初期における学部調整、世紀の変わり目における総合化改革、大学院生専門学位と高等職業教育の発展などによって、中国の高等教育のカテゴリーを確立した。
 
三つ目は、高等教育機関の配置の最適化で、計画経済時代における大行政区ごとの高等教育機関設置から、社会主義市場経済体制時代における省域高等教育の急速な発展、国のペアリング支援政策の実施等にいたるまで、高等教育機関の空間的配置を徐々に完全なものにしていった。この70年間、高等教育の規模は急速かつ秩序ある発展を遂げ、レベルも効果的に向上し、学校運営の形式も徐々に多様化していき、おさめた輝かしい成果は全世界の注目を集めた。これらの成果はみな党と政府の力強い指導の下で得たものであり、またそれは教育への投資と制度の力強い保障なくしてはあり得なかった。
 
新中国成立後、高等教育は国家経済の回復・発展および工業体系の建設という要求を素早く満たした
 
独立し整った産業体系を完成させ、国民経済をいち早く回復・発展させることは、新中国が初期の20余年でおさめた偉大な歴史的成果であり、新中国の創始者が抱いていた最初の夢でもあった。旧中国が共産党に残したのは、全てが破壊され、経済的に貧しく文化的に遅れた国土で、平均寿命は35歳で、1人当たりの国民所得は27ドル、非識字率は80%以上であったが、改革開放までに、中国は世界第6位の工業国になっていた。その時代、工業化は近代化を意味しており、高等教育の役割はなくてはならないものだった。
 
1949年末、中国本土の高等教育機関はわずか205校で、在学中の大学生は約11万7,000人だった。高等教育は規模が非常に小さかったが、体系が整っておらず、学科が雑然としていて、レベルもバラバラだった。日増しに増大する社会主義建設の需要に早急に対応するため、高等教育の発展は重点をおさえ、全体を牽引し、国家の建設を支援できるようにしなければならなかった。
 
1950年6月、周恩来総理は全国高等教育会議において、「大学を再構築し、重点体制を形成する」方針を打ち出した。この方針に従い、1952年から、全国の高等教育機関では大規模な学部調整が行われた。指針となった考え方は、重点を踏まえて着実に前進するというものだった。
 
周恩来総理は次のように指摘した――
「重点を踏まえて着実に前進することは、進まないことでも猪突猛進することでもなく、足並みを揃えて一斉に進むことでもない。手を広げすぎて重点がなければ、形式上は国家建設に協力しているように見えても、実際はそうでないということになる。」
「何かをするには順序というものがある。まず重点に取り組めば、他は徐々に引っ張られていく。例えば、まともな総合大学をいくつか作れば、他の大学もそれに習うはずだ。」
 
1954年から1963年にかけて、全国で4度に分けて計68の高等教育機関への重点校指定が行われた。事実が立証しているように、予算と資源を集中させて一部の高等教育機関および学科を重点的に建設することは、社会的資源を迅速に動員し、高等教育の発展を促し、主体的に国の計画と需要に沿って高等教育を整備させることができるという優越性があった。
 
この間実施された学部調整は、全国の大多数の高等教育機関に及び、総合大学と専門学院の性質・任務が明確となり、特に工学系の学校が強化され、高等教育機関は学科または産業分類に基づき設置するという基本的特徴が形作られた。1957年には、全国の高等教育機関は229校に増え、そのうち、単科の専門学院は、高等教育機関総数の92%を占める211校となった。高等教育機関は専門に合わせて計画的に国家建設のための専門人材を育成するようになり、1953年には本科の専門課程が215種類だったのが、1957年には323種類、1965年には601種類と、急速に増加し、国家建設の需要を迅速かつ手順よく満たした。
 
高等教育機関はまた、基本的に地域ごとに配置されるようにもなった。各大行政区には少なくとも総合大学1校、農学院1~3校、教員養成学院1~3校が置かれ、専門工学院が多数開設され、省が専科を設置した。1955年から1957年にかけては、高等教育機関が少数の大都市、特に沿海部の大都市に集中しすぎるのを防ぐため、工業系の高等教育機関と工業基地の融合を徐々に進め、内陸部の高等教育機関の建設を更に強化した。
 
管理体制の面では、中央直属の高等教育機関、産業部・委員会所属の高等教育機関、地方の高等教育機関という三つの「条塊」(垂直型管理と水平型管理)の枠組みが構築された。また、社会に向けた学校運営を実行し、教育と生産労働の融合を強化し、教育・生産労働・科学研究の三つが融合した学校運営体制が一応確立された。
 
こうした取り組みの全ては、高等教育を国民経済計画の有機的な構成要素にし、経済の回復と建設という当時の需要に適応させ、帝国主義による経済封鎖を打破し、新中国の前半50年の高等教育の基本的枠組みを築いたのである。
 
改革開放が高等教育と社会の共同繁栄・共同成長を推進した
 
中国の大学受験「高考」改革と留学制度は、教育における改革開放の幕を開けと同時に、教育を改革開放という基本国策の先駆的実践者たらしめた。この時期、高等教育は世界の知識経済の試練と、国内の市場経済改革を経験したことで、体制改革を中心に、高等教育機関の募集枠拡大、一流大学の建設、学校運営モデルの多様化、高等職業教育の発展、現代大学制度建設といった非常に大きな変化が起き、科学研究やサービスなどの機能・内容を積極的に充実・発展させ、教育関連の法律法規体系の整備を推し進め、社会主義市場経済体制の需要に順応し、自らの発展要求を満たすうえで柱となる枠組みを打ち立てた。
 
改革開放初期、高等教育のレベルをいち早く高め、教育事業と社会発展が著しく乖離している現状を早急に改めるため、国は1978年から1981年の間、96校の高等教育機関を再び全国重点高等教育機関に指定した。1984年、国務院は北京大学など10校の高等教育機関を国家重点建設プロジェクトに組み入れることに同意し、国の「第7次5か年計画」の予算に組み入れた。その後、国防の近代化の需要に順応するため、ハルビン工業大学など五つの高等教育機関をさらに国家重点建設プロジェクトに組み入れた。教育部と旧国家計画委員会はまた、国が差し迫って必要としており、重大な任務を担い、学術レベルが高く、先導的地位にある学科や専門を別途選び、段取りを追ってその発展をサポートすることを提案した。
 
こうして、1987年から1988年にかけて、全国で416の重点学科が選ばれ、対象となった高等教育機関は107に及んだ。1984年、1986年、2000年に、教育部は国務院の承認を得て通知を発し、北京大学など56の高等教育機関に大学院を設立し、一部の高等教育機関を修士・博士育成の主要拠点とするとした。さらに、科学教育立国戦略を実施し、知識経済と国際競争の試練に向き合うため、国は1995年と1999年に「211プロジェクト」と「985プロジェクト」をスタートし、「211プロジェクト」には112の高等教育機関が、「985プロジェクト」には39の高等教育機関がそれぞれ選ばれた。
 
この一連の重点建設政策の実施は、一部の大学のレベルを飛躍的に向上させ、あたかも大学の「ナショナルチーム」を結成したかのように、中国の高等教育事業全体の発展を力強く牽引し、国が将来世界的な科学技術競争で機先を制することができるようにした。
 
教育の活力を増強するため、1990年代の高等教育は大規模な体制改革が勢いよく進められ、1998年の国務院機構改革を契機に、高等教育体制改革はさらなる飛躍を遂げ、中央と省の2級管理、省級政府による統一的計画を主とするマクロ的管理体制が構築され、新世紀における中国の高等教育の基本体制モデルが確立した。それと同時に、幾度にもわたって高等教育機関の内部管理体制の改革も行われた。ミレニアム以後は、改革の重点が徐々に大学制度の現代化に移っていった。実は、これも市場経済の条件下における体制・仕組みの改革の深化の一つである。
 
科学技術の発展と市場経済改革に伴い、教育は人材の基礎的能力と汎用的能力の育成が強調されるようになった。体制改革のブレークスルーに伴い、大学は総合化を模索し始め、社会、科学技術、学科の発展のより複合的で交差的な要求に応えられるようにした。高等教育機関では募集枠拡大の波が起こり、民間(私立)高等教育機関、独立学院、中外合弁の学校運営、職業技術学院など様々な学校運営の形が出てきて、急速に発展していった。
 
一方、本科の専門課程の整備も調整が幾度も行われた。例えば、1982年から5年間の調査を経て、1987年に公表された専門課程リストでは、それまでの1,343種類が671種類に、1989年から4年間の調査を経て、1993年には504種類に、1997年4月から1998年7月にはさらに249種類に絞られた。2012年には新たな専門課程リストが作成され、科学技術と社会のニーズの変化に合わせるため、動的調整メカニズムが実行に移された。
 
同時に、本科の専門課程リストを2011年に公表された大学院生学位授与リストに合わせる調整作業も完了し、「第12次5か年計画」期における専門学位大学院教育も急速に発展する段階に入った。また、1990年代半ばに開設された職業技術学院は、その後の高等教育機関の募集枠拡大、モデル校・中堅校建設などを経て急激に発展し、高等職業教育は高等教育の半分を担う存在になった。高等教育の種類は格段に豊富になった。
 
高等教育の2級管理体制は、地方の高等教育の発展に対する情熱を強くかきたて、高等教育機関の配置を効果的に改善した。例えば、1993年以前の100%計画経済体制に従っていた時期、華北地区の高等教育機関は北京市に集中し、東北地区は遼寧省、華東地区は江蘇省、中南地区は湖北省、西南地区は四川省、西北地区は陝西省に集中していた。1993年時点で、これら6省(市・自治区)は、中国本土の省数の19.4%に過ぎなかったが、これら6省に設置されている高等教育機関数は全国のそれの33.6%を占めていた。しかし2008年になると、この割合は27.0%にまで減り、広東省など他の大部分の省の普通高等教育機関数はいずれも顕著な増加が見られた。こうした増加は、初めは量的だけのことだったが、後には階層やレベルの面にも反映されるようになった。高等教育機関の設置も中小都市にまで拡大され、地方の発展の重要な成長点と活力源となった。
 
高等教育はその発展が世間の注目を浴びたが、改革開放の数十年を中国経済の高度成長・安定成長と共に歩んできた存在でもある。ここでは二つ例を挙げたい。
 
一つ目の例は、十数年前、筆者が先進国の高等教育機関代表団を何度も案内したときのことだ。彼らはみな、中国語で「211」「985」を発音することができ、これらのプロジェクトの状況を特に聞きたがっていた。このことは、二つのプロジェクトの成果が世界的に影響力を持っていることを示している。
 
二つ目の例は、筆者が計算したところ、1978年から2013年までの間、当時の価格で中国のGDPは年平均15.52%増の155倍になり、同時期の普通高等教育機関の本科・専科教育の規模は、年平均10.08%増の28倍になった。同時期のGDPと普通高等教育機関の卒業生数の比率は、5年ごとに2.22、1.78、2.72、6.19、10.17、7.23、6.13、8.91となり、おおよそ一つの対数スケールの範囲内で上下していることから、両者には基本的に整合性があり、高等教育機関が適切なタイミングで社会に人材を送り出し、経済発展のニーズを満たすため尽力していることが示されている。
 
ここで特に指摘しておきたいのは、21世紀以降、中国が展開している一流大学建設、大学制度の現代化、高等職業教育の発展といった実践面・理論面での模索は、高等教育発展の法則を正しく認識・把握するのに重要な意義があるということである。
 
新時代の高等教育は中華民族の偉大な復興への奉仕を重要使命とする
 
新時代に入って、高等教育発展の柱となる枠組みが打ち立てられ、質の向上を中心とする内包的発展への転換が全力で行われた。民族の復興の大役を担う新時代の人材を育成し、中国の特色ある社会主義強国建設を力強く支え、より良い生活に対する人々のニーズを満たし続けることが、高等教育の神聖な歴史的使命となった。
 
2015年10月に国務院が印刷・発行した「世界一流大学および一流学科建設の統一的計画・推進のマスタープラン」の冒頭部分では次のように述べられている。「世界一流大学および一流学科の建設は、党中央と国務院が打ち出した重要な戦略決定であり、中国の教育発展レベルの向上、コア・コンピタンスの強化、長期的発展の基盤の構築にとって、非常に重要な意義を有する。科学的な審査手順を経て、計137の高等教育機関が『双一流』プロジェクトに組み入れられた。これには、世界一流大学建設を行う42校、世界一流学科建設を行う95校が含まれており、このうちの一部は『211プロジェクト』『985プロジェクト』などの重点建設も経験している。『双一流』建設は、人材育成を重視し、新時代全国高等教育機関本科教育工作会議や『双万計画(2019年から2021年にかけて、約1万の国家レベルの一流学部専攻と約1万の省レベル一流学部専攻を創設する計画)』の実施といった具体的行動によって、全ての高等教育機関が『一流の本科教育』と質の高い発展を追求するのを牽引していかなければならないことをとくに示した。現在、大多数の『双一流』高等教育機関は、優れた成績で中間評価に合格している。」
 
この時期、高等教育は「中国の大地に根ざした大学運営」を堅持し、新たな科学技術革命と産業革命に主体的に対応し、経済・社会の発展に影響を及ぼすカギとなる重大問題の解決に注力すると同時に、普通本科高等教育機関は次のことに取り組んでいる。
 
それはつまり、

  • 技術応用型への転換を積極的に推し進め、専門大学院教育の発展に力を入れ、積極的に学習型社会づくりにあたること、
  • 国と地域の発展戦略ニーズに積極的に向き合い、雄安新区、海南教育イノベーション島、長江デルタと長江経済ベルト、粤港澳大湾区(広東・香港・マカオ大湾区)、東北振興と中西部開発、「一帯一路」建設などの面で、高等教育と国家主体機能区の発展の融合を強化すべく、教育の参画戦略を打ち立てること、
  • 発達した地域と遅れた地域の教育格差の縮小を重視し、省と政府部門が協同で高等教育機関設立を拡大し、重点高等教育機関における農村および貧困地域出身の学生への加点を強化し、東部地区高等教育機関の西部地区高等教育機関に対するペアリング支援の強化を導くのを支援すること、
  • ITやAIの教育の発展に対する貢献を積極的に推し進め、新工学部、新農学部、新文学部、新医学部およびAI関連の学院や専門課程の設置を模索し、高等教育の発展形態を不断に充実させること、

である。
 
このことから分かるように、高等教育は引き続き規模・分類・配置面の発展を重視すると同時に、質、公平さ、戦略、融合、体系、協同建設をより重視し、システムインテグレーションをより強調しており、社会への適応性と、国の発展への支援力がより強化されている。同時に、専門学位認定の国際化や国際的な学問考察への参加、種々の形式による海外での学校運営など、開放の度合いを絶えず拡大し、積極的に教育と世界の協力を推し進め、「引進来(外から引き入れる)」と「走出去(外へ出て行く)」を結びつけ、「中国の知恵」への貢献と「中国の案」を出すのを重視し始めてもいる。
 
この時期、高等教育機関は党による指導と、思想宣伝活動、それに自身のガバナンス体系とガバナンス能力の現代化を全面的に強化し、「放・管・服(行政のスリム化と権限委譲、監督管理能力の強化と権限委譲との両立、行政サービスの最適化)」改革を進め、法による教育ガバナンスを全面的に推進した。多くの高等教育機関では法による学校ガバナンスと改革の深化の統一がほぼ実現され、「一校一規約」が全面的に実現し、総合改革が全面的に推進され、科学的発展の実現に努めている。
 
2018年、中国の普通高等教育機関数は2,663校、在学中の本科・専科学生数は2,831万300人、大学院生育成機関は815校、在学中の大学院生は273万1,300人、全国の各種高等教育機関の在学生総規模は3,833万人、「毛入学率(政府が定めた入学年齢人口の総数に対する在学中の学生の百分率)」は48.1%に達した。高等教育は今、普遍化というハードルを大股で越えようとしている。
 
世界でも過去100年に類を見ない大変動を前に、高等教育は発展を続けると同時に、社会的価値の実現と強国建設の責任負担をより重視し、国の重要戦略への奉仕、社会発展への奉仕、人民のより良い生活に対するニーズへの奉仕を堅持し、「五唯」(論文、学位、肩書き、学歴、賞のみを目的とした教育)という不治の病を治し、真に中国の大地で学問を為し、中国の特色ある社会主義現代化強国の建設のために新たな功績を打ち立てようと努力している。
 
2019年10月1日
 
青塔:高等教育70年:在服务国家建设中转型升级[来源・中国教育新闻网]

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