【ニュース・中国】教授に学部生の授業を持たせることは何故こうも難しいのか

 
要旨:

11月、高等教育機関にまた来学期の時間割を作成する時期がやってきた。
 
「学部生に授業をして、状況統計表を書くよう、本学院の教授と副教授に催促してください……」
 
2019年11月5日、河南師範大学教務処は時間割通知を更新し、教務処は学部生への授業状況を教授および副教授のプロジェクト申請並びに年末査定の参考にするとした。
 
同じ日、浙江中医薬大学教務処も通知を出し、教授は本部の学部生に対し1年で48コマ以上授業を行うよう求めた。
 
多くの高等教育機関でこうした動きが起こっている原因は、10月31日に教育部が公布した「一流学部カリキュラム建設に関する実施意見」(以下「意見」)だ。「意見」では、「高等教育機関は教授の学部生に対する授業制度を厳格に実行しなければならない。3年連続で学部生への授業を行わなかった教授・副教授は教員から除外する」としている。
 
「教授が学部生に授業をする」ことが再び議論の焦点となっている。実際、「教授が講義を行う」ことに関する提言は、既に何度も教育主管部門の文書に出されている。しかし、ここ何年もの高等教育機関学部授業品質報告において、教授・副教授の学部生への授業実現割合が目標の100%に達した例は見たことがない。
 
「いわゆる大学とは、大楼有るの謂れに非ざるなり、大師有るの謂れなり」。1931年、梅貽琦は清華大学学長就任演説でこう述べた。「教書育人」(学問を教え人を育てること)は本来、教員が全うすべき職務である。学部生に授業をする暇がないと言う教授・副教授は時間を一体どこに使っているのか。彼らを再び学部の教壇に立たせることの難点は一体何か。
 
「教育とは真心で行う仕事である」。ある高等教育機関の教員は、形式的に教授を学部の教壇に立たせるのは難しくないが、いかに真心込めて学部生によい授業をさせるかが課題だと指摘する。

授業が「弱者」に
 
最近、西安のある大学生が微博でぼやいた。「うちの先生はみんな卒業したての新人で、授業はパワポを読むだけ……」。学校を卒業したばかりの教員に授業を行わせる高等教育機関はまれなケースではない。
 
実は、教育部は2005年の時点で「高等教育機関の学部教育のさらなる強化に関する若干の意見」を公布し、高等教育機関は教授・副教授に学部生の授業を担当させることを基本制度の一つとし、少なくとも年に1科目は学部生の授業を持たせなければならず、2年連続で学部の授業を担当しなかった場合は教授・副教授の職務に任命してはならない、という指示を打ち出した。
 
2018年1月、中国共産党中央と国務院は「新時代における教員陣建設改革の全面的深化に関する意見」を公布し、高等教育機関における教員の査定・評価制度の改革を深化し、教育教学業績および「師徳」査定を際立たせ、教授に学部生の授業を担当させることを基本制度としていくことに再び言及した。
 
しかし、こうした要求がこれまで高等教育機関において100%実施されることはなかった。2019年QS中国大学トップ100ランキングによると、トップ10の大学は清華大学・北京大学・復旦大学・中国科学技術大学・浙江大学・上海交通大学・南京大学・中山大学・武漢大学・ハルビン工業大学である。記者は上記10か所の高等教育機関における2017~2018年度の学部授業品質報告をデータ分析してみた。
 
学部生に授業を行っている教授の人数を見ると、清華大学・北京大学・中国科学技術大学では70%未満、復旦大学・浙江大学・上海交通大学・ハルビン工業大学では70%~80%、わずかに南京大学1校のみが80%を超えており、学部の授業を主に担当する教授の全教授に占める割合は80.56%だった。中国科学技術大学・中山大学・武漢大学は該当データ自体がなかった。
 
また、教授が担当する授業数の割合を見ると、上記の高等教育機関では大部分が30%~50%に集中しているが、上海交通大学は20%に満たなかった。
 
2019年10月末、教育部高等教育司の呉岩司長は次のように述べた。「高等教育機関には、授業・研究・社会への奉仕という三つの基本的な役割があるが、人材育成こそが第一の職責だ。大学というものが誕生して以降、大学は人を育てることを使命としてきた」
 
上記のデータに基づけば、多くのベテラン教授や副教授が授業を担当していない。彼らは一体どこへ行ってしまったのだろうか。
 
「忙しすぎる。教員に与えられた研究や授業の時間がそもそも限られている」。首都師範大学の宋海瑜(仮名)教授は率直に語る。勤務時間には、学習活動・座談会・学術交流・各種会議・経費精算・評定・査定など事務的業務が多く、これらをこなすために30%以上の労力が費やされるという。
 
経費精算プロセスの煩雑さが多くの高等教育機関教員の悩みの種となっている。これを解決するため、教育部は4月17日、研究費の精算に伴う各種証明書類を減らし、審査段階の短縮と経費精算プロセスの簡素化を進め、研究者を報告書作成や経費精算といった事務作業から解放するよう通知した。
 
だが、「こうした学内事務だけではない」と訴えるのは、ある匿名希望の高等教育機関教員だ。なんと、教授の中には学外でのビジネス活動に熱中している者もおり、「副業やアルバイトをしているようなもの」だという。
 
記者は多くの高等教育機関教員を取材する中で、事務を除いても大部分の高等教育機関教員の余剰時間は全て授業に使われているわけではないことに気づいた。授業と研究という高等教育機関教員の2大職務を秤にかけたとき、彼らは研究のほうに傾きがちなのだ。
 
「研究で本当に忙しい」と大連理工大学の施雲(仮名)副教授は言う。今年の元旦から今に至るまで、彼女はほぼ休みなしだ。今学期は学部生の授業を週7コマ担当し、授業以外の時間はかなりの労力を研究プロジェクトに費やしている。彼女はこの継続プロジェクトに既に何年も取り組んでいる。「関係者なら皆知っていることだが、文系の教員の場合、プロジェクトの申請も難しければ、プロジェクトを終了させることも難しい。プロジェクトに取り組んだその年に論文を発表するのは極めて困難だ」
 
施副教授は言う。「理工系の教員はもっと大変。ほぼ年中無休で各種プロジェクトに取り組み、その上でハイレベルな論文を発表しなければならない。」
 
河海大学文系教員の徐蘭(仮名)さんの話では、研究業務は論文を書く以外にもプロジェクト申請書を書いたり、各種テーマに随時アンテナを張り、学会に出席したりしなければならない。これらもすべて研究の範囲内である。
 
「指揮棒」は研究に向く
 
「大体の人は研究重視だと思う」。研究と授業との間で時間や労力をどう分配するか尋ねた際、ある高等教育機関の教員は即座にこう答えた。
 
上海交通大学は2017~2018年度学部授業品質報告の中で次のように明確に指摘している。「教員の研究任務が重いため、全体的に教員の教育業務への注力に影響が生じ、時間も労力も不足している。授業の効果には一定の向上の余地がある。授業も研究も重視するタイプの教授が第一線の授業を担当する際の業務量は相対的に少ない。量が多く扱う範囲も広い基礎カリキュラムの授業を長期間担当している教員は、博士号保持者の割合があまり高くない。授業重視型教員の昇進のチャンスは少なく、収入や待遇は低い傾向にある」
 
高等教育機関において研究は直接個人の利益に関わる。北京市のある匿名希望の高等教育機関教員の話では、教員が研究により注力した場合の収入は、単に授業のみを行った場合に比べて年に30万~60万元増加する。研究は忙しいが、あらゆる面において魅力的であることは想像に難くない。
 
また、各種の賞など奨励制度も授業のみを対象とした賞は研究を対象とした賞に比べると格段に少なく、全国レベルの授業成果賞は4年に1度しかない。四川大学が2015年に初めて賞金100万元の「卓越授業賞」を設けたときは大きな話題になった。四川大学の謝和平学長は、こうした奨励措置を通じ教員が少しでも多くの時間を授業のために割いてくれることを願っていると述べていた。
 
だが、重要なのは「高等教育機関の教員にとっては昇進査定が非常に重要」だということだ。宋教授自身の経験によると、昇進査定には授業・研究・社会への奉仕の三つがあるという。
 
しかし、教員たちは知っている。授業に対する査定は年に何コマという具合に一定の量をこなしていればよく、その良し悪しについてはほとんど評価されない。しかし研究に対する査定は論文のレベルや研究プロジェクトのランクといった成果に対するもので、量だけでなく質が求められる。
 
それゆえ多くの教員に「昇進の査定には研究のほうが重要だ」という暗黙の了解が生まれた。教育部の陳宝生部長も2018年6月に公の場で言及したように、一部の学校では教員を評価する際、学歴・職称・論文のみを重視し、過度に国外定期刊行物での論文発表数など教員の海外経験を強調しており、こうした「指揮棒」は教員の「教書育人」における積極性の喚起を妨げている。
 
教員には昇進査定の他、学術評価もある。「貢献によって支援を求める」と言うが、教員も勤務先に貢献することが求められる。ワンランク上の学校や学科を目指す場合、各種学術成果による支援が必要だ。では、学術評価が良くなかった場合はどうなるのだろうか。ある高等教育機関の教員が教えてくれたところによると、「学科が取り消され、募集資格が停止される。教員は共通科目の教員になるか、転職するしかなくなる……。教員への影響はとても大きい。」
 
南京理工大学理学院の黄振友教授は、この問題は大本をたどれば評価メカニズムの問題だと考えている。大学での核心的指標を評価・査定する際、論文の本数や課題・プロジェクトの件数と経費や受賞数といった研究成果を過度に強調する傾向にあり、授業の成果は重視されない。大学の核となる任務、大学の存在意義は人材育成にあり、授業は本業、研究は副業に過ぎないと黄教授は指摘する。
 
10月31日、教育部高等教育司の呉司長も教育部の会見で、授業と研究は現代の高等教育機関が担うべき2大基本任務であるにもかかわらず、いまだに「研究重視・授業軽視」という風潮があると指摘した。
 
救いは、評価メカニズムにおいて授業回帰・授業重視の前向きな徴候が現れていることだ。10月末に公布された「意見」でも、優れた授業や教員に対する報奨を強化し、専業技術職務の評価における授業業績の重みを拡大しなければならないとされている。
 
現在、少なからぬ高等教育機関で「授業型教授」の評価ルートの模索が始まっており、実施例も誕生している。2018年、黄教授は授業の実力と実績を買われて南京理工大学初の「授業型教授」に任命された。彼は授業の実績が突出していたのにその他の指標が芳しくなかったため、それまで20年近くずっと「副教授」止まりだった。
 
授業実績の突出した教員に対する授賞や報奨の制度も徐々に充実してきている。浙江大学管理学院人的資源センターの李賢紅主任によると、浙江大学管理学院では最近「浙江大学管理学院教育授業報奨条例(試行)」を打ち出し、「年間で学部授業32コマ」という最低ラインのほか、積極的に教育教学建設並びに改革に参画し、学部生および大学院生への教育・授業に全身全霊で取り組み、授業の効果を著しく向上させ、成果が明らかな教員に対し報奨を出し、「優れた教師の定着を図る」ように試みている。
 
「骨折り損のくたびれ儲け」な授業
 
施副教授は研究重視のもう一つの原因について語ってくれた。授業というものは極めて煩雑な仕事であり、かなりの労力を費やす必要がある。それゆえ授業で成果を上げる方が難しく、「骨折り損のくたびれ儲けの感がある」というのだ。昨今、学生の間にまん延する浮ついた空気も高等教育機関の教員の授業に対する積極性に大いに水をさしている。
 
施副教授は言う。学生の多くは何らかの活動に熱中しており、苦労して学問をする学生はほとんどいないし、何とか近道を行こうとする。授業に出るのは単位のため。難しく、時間を取られる基礎授業はなるべく避ける。そういう状況が長く続けば、教員の情熱が向かう先はなくなり、いずれ打ち消されてしまう。「授業とは本来双方向のもの」だから。
 
「学生はだいたい授業を軽視している。この状況を変えるには、教員の一方通行ではダメで、教員と学生が共に変えていかなくてはならない」と施副教授は言う。しかし黄教授は、学生が真面目に勉強しないからといって教員が真面目に教えなくていい理由にはならないと考える。
 
黄教授は、他にも高等教育機関全体における「研究重視」の現象について、大学の評価制度において授業の比重を高め、他の査定指標の比重を下げることを提案する。だが、研究に比べ授業に対する査定は難しいというのは、無視できない現実問題としてある。「授業というのは長丁場であり、短期間で効果が出るものではない」
 
学生指導の成果や授業の質といった細々とした教育実務は、簡単に定量化できない。「授業の質は定量化しにくいが、それでも評価はしなければならない」。10月上旬、浙江大学管理学院では「三好教員」の選定が行われたが、その中の一項目に、授業の質に対する査定があった。
 
現在、多くの高等教育機関では、学生に教員を採点させることで教員の授業を査定する方法が採られているが、このやり方にも賛否両論がある。「例えば、『下駄』を履かせてくれる教員に対して高得点をつける学生や、逆に厳しくストイックな教授に低い点数をつける学生が必ずいる。そうなれば、学生に対して厳しい要求をする教員はいなくなってしまう」と宋教授は指摘する。
 
しかし黄教授は、たとえそうだとしても学生による採点は参考にする価値があると考えている。学校はいわば工場。最も重要な任務は規格に合った製品を生産することである。大学にとって学生は製品である以上に受益者でもある。よって、学生は教員に対する採点に関して発言権を有する。
 
黄教授は「学校側は5%ないし10%、いや20%でも構わないが一定の割合のエリート学生を選定し、彼らの卒業後の成長を大学に対する査定指標の一つとする」よう提案する。エリート学生の成長が大学に対する査定指標であると強調する狙いは、大学の授業には深さとエリート意識がなければならないことを認識させ、全面的に真剣に学生を育成するよう大学を促すことである。
 
「大学に対する評価メカニズムが変われば、問題は自ずと解決するはずだ」「教育とは真心で行う仕事である」「やってみれば難しくない」
 
記者は多数の高等教育機関の状況を取材していく中で、多くの学校では「意見」公布前、既に「教授・副教授は少なくとも1学期()に1科目は学部学生の授業を持たなければならない」という指針に達していたと知った。
 
宋教授の所属する学校を例にとると、学校は教授に対し、少なくとも1学年に1科目は学部生の授業を持つよう求めており、これを教員の業績査定の項目の一つに組み入れている。達成できなければ、本年度の査定は不合格となり、各方面の待遇や教授を継続できるかどうかにも影響が生じる。
 
しかし、指針が発表されると多くの教員はこれを支持したが、それ以上に疑問の声も発せられた。「指針は支持するが、どう監督するのか。どのように実際に学部生に授業を行っていると判定するのか。3年と言うが、3年分になるには具体的に何コマ必要なのか。
 
「実際に効果が出るのはそれがはっきりしたあとになるだろう」。黄教授がこうした問題以上に関心を寄せているのは、指針で教授が学部生に行うよう求めているのは、一体何の授業かということだ。「核となる基礎授業を行うよう強調しなければならない」と黄教授は言う。
 
SNSの微博ユーザーからも同様の懸念が聞かれた。「『猿の水練、魚の木登り』で学生を教えさせても、責任持って教えるとは限らない」
 
授業にはある程度の反復性があるため、今年教えて来年また教えるとなると、中には慣れているからと授業内容を更新する努力をしない教員もいる。
 
だが、大学教育は教材を解説すれば終わりというものではない。「教えた学生はイノベーション能力を身につけ、研究プロジェクトを行えるようでなければならない。学生を独り立ちできるように訓練するには、労力がかかるのは当たり前だ」
 
「教育とは真心で行う仕事である」。黄教授は、授業とは時間と技量を注ぎ込み、実直に勤め、下準備をし、教壇に立って行うものだ。そこではごまかしは効かないし、地道な積み重ねが必要だと考えている。
 
※訳注:原文は「学期」。前後はすべて学年となっている。訳文では原文のままとした。
 
2019年11月17日
 
新京報:让教授给本科生上课,为何这么难?
 

地域 アジア・オセアニア
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